病院と美容院

美容院に行ってきた。
カット前の待ち時間に支給されたストリート系ファッション雑誌をめくりながら、世間様の流行を確認する。ほうほうこんなものが。モテ部門もオシャレ部門も事実上閉鎖している自分には何もかもが新鮮だ。
ふと視線を外して鏡を向くと、自分の服装は数年前のまま時が止まっている。
なんだかやり切れなくなったので、美容師さんを待つ間にどうでもいいことを考えてみる。

・「びょういん」と「びよういん」はよく似ている。
「小学一年生」で病院に行きたい子供が「よ」と「ょ」を読み違えて美容院に着き、途方にくれて泣いてしまう話があったっけ。

・美容師は医者に似ている。
昔の床屋は外科も兼ねていたとか理容室のクルクルがその名残だとかの話ではない。似ているのは両方とも人の命を預かっていることだ。
こう言うと当然反論が来ると思うので、予め書いておく。

予想される反論と、再反論
美容師が扱うのは髪の毛だ 
→髪は女の命。年齢、遺伝、服装によっては男の命でもある。
髪を切られても痛くはない
→髪を切られても痛くはないが変な髪形にされるのは痛い。
失敗しても命に別条はない
不本意な髪型にされたとき、その日の気分は台無し。鏡を見て死にたい気分になったことのある人も多いはず。

これはカットの場合であって、機械や薬品が介在するパーマやカラーリングについては分からないけれど。

客の切実な思いは美容師にどの程度伝わっているのだろうか。

気がつくと男の美容師さんが立っていて、ちょっと損した気分になる。
「カットはどうなさいますか?」
写真の切り抜きを持って行くほどの勇気がなく、カタログ写真を見ても完成図をイメージしづらい。馴染みの美容師さんが切るときは常に自分のイメージと半歩ずれるし、この店には「いつもの」と言って通じる相手はいない。だいいち、ちょくちょく髪型を変える僕に「いつもの」もへったくれもない。
フ「うーん、短くして適当に軽くして下さい」
美「髪型とかに特徴はありますか?」
フ「黒くて固くて多くてくせがあって、襟足が逆立つんです」
美「ええ、これはちょっと厄介ですね」
フ「はあ…」
美「前のオーダーは坊主でしたね、髪質や頭の形からして、もう少し長くても大丈夫だと思います。」
フ「髪が膨らんじゃってあまり長いのも似合わなかったんですが」
美「では、周りを刈りこんでトップは伸ばす方向で行きましょう」
フ「はい」
カルテを見せたり頭をあちこち触ったりしながら長い説明や相談を済ませ、ようやくカットの開始。
当たり障りのない会話を重ねながら髪がだんだん短くなって行く。何度も確認と微調整を行い約40分で完成。普段より時間はかかったが満足いく出来栄えだった。いつもより丁寧にお礼を言い、次回分の予約まで済ませて店を出た。