わたりろうか

僕の中学校には長い渡り廊下があった。簡素な廊下は改築間もない校舎と古びた体育館を結んでおり、バスケ部の部員は必ずそこを利用することになっていた。

校舎は塗料の匂いで頭痛がし、体育館は埃と汗とバッシュの臭いが鼻をつく。渡り廊下を歩く時だけ、僕は大きく息を吸いこむことができた。雨漏りのする瓦屋根と藤色に褪せたトタンの壁を見ながらコンクリートの床を殊更ゆっくり歩き、起こり得ないことを想像する。もしも部活が休みになったら、数学がこの世からなくなったら、地震が起こったら、クラスの女子を脱がせるなら、俺は。

錆びた重いドアの手前まで来るとボールをバウンドさせる重たい音が聞こえてきて、そこで現実に戻る。

バスケ部の練習は厳しく、顧問はもっと厳しかった。僕達は毎日猟犬のように走り、ADのように殴られた。顧問の急病と体育館の大破を毎日願ったが、奴は38度の熱でも練習に来た。体育館が使えない日は外で吐くまで走らされた。

4月に40人いた新入部員は夏までに半減し、桜が咲く頃に残っているのは10人しかいなかった。僕は背が低く運動神経もなかったが、フェイクとスリーポイントを身につけ先輩の好きなジュースの銘柄と日曜日に流れるコントを暗記し、なんとか生き延びた。好きでもなく活躍の芽もないスポーツをどうして続けたのか、理由は覚えていない。きっと意地になっていたのだろう。

新チームになってユニフォームを貰った。13番だった。
不吉な番号を背負い、連なったパイプ椅子の端で声を出し続けた。

最後の大会で出番が来た。県大会の決勝だった。前半にシューティングガードが足を捻挫し、後半残り10分でエースのスモールフォワードが退場した。いつもならゲームを立て直しにかかるはずのキャプテンは忌引で田舎に帰っていた。好調だったチームは機能不全に陥り、パスが回らなくなった。孤軍奮闘していたセンターも疲れと集中マークによる苛立ちから調子を崩し、フリースローを5本続けて外した。アウトサイドを打てる人間が必要だった。ディフェンスの意識を外に広げないといけない。
「用意しろ」
「はい」
顧問の顔は曇っていた。無理もない。出場機会0の13番を公式戦に出す展開など想定していなかっただろう。
コートにいた5分半の間、チームはセンターが作ったリードを吐き出し続けた。スリーポイントの一本や二本じゃ流れを変えることはできず、自陣に貼り付く時間が増えていった。54-53、1点リードで残り5秒。僕がマークしていたシューティングガードはコーナーに開いてセンターからパスを受け、早いモーションでジャンプシュートを打った。濃いオレンジ色の試合球は伸ばした右手の中指をかすめ、背後のリングに吸い込まれた。

最後の夏が終わった。

終業式の夕方、新キャプテンに引き継ぎを済ませて体育館を出た。
バッグを肩に掛け、左手でバッシュを持ち、空いた右手をトタンの壁に添えて歩く。
壁を伝う指先から聞こえるぱらぱらという乾いた音が拍手か機関銃のように思えた。

もう少し背が高かったら、もう少し高く飛べたなら、 俺達は。
渡り廊下の終点で我に返り、埃で黒ずんだ指先を見る。届かなかったのだ。

それから10年。駅で偶然顧問と会った。自分は今年定年を迎えたこと、体育館は老朽化に伴い改築されたこと、中学校は相当変わってしまったこと。そんな話を聞いた。
「先生、渡り廊下ってまだありますか?」
「ああ、あれか。体育館と一緒に建て替えたぞ」
僕は溜息をつき、じっと手を見た。