ブラックバード

「ゆ、湯葉マック下さい」
「は?」
松井山手って京都ですよね、でしたら」
「ええ、確かにそうですがそのようなメニューは」
「…それじゃビッグマックと…あ、やっぱやめてハンバーガー二つとミルク」
「ご一緒にポテトはいかがですか?」
「いえ」
かつがれた。
大阪経由の情報は間違いだらけだ。
・関西ではマクドっていう。
・京都ではマクドナルドが茶色い。
・裏メニューに湯葉マックがある。
初めのは本当か。マクドナルドが茶色ってのもまあ正しいか。ここが特殊なのかもしれない。辺鄙な土地だから京都扱いされてないのかもしれない。それにしても湯葉はないだろう湯葉は。

もそもそと夕食を取る。京都でマックなんて絶対間違っているけど、どうしたって金がない。
はじめての京都はどこに行っても楽しそうな観光客ばかりで疲れた。
財布の中には結構な金額があったはずだが帰りの新幹線のチケット代を差し引いたらもう幾らも残ってない。

あ、メールだ。

「駅の改札にいます」
高校時代の友人からだ。待ち人来れり。いそいそと駅へ。
「ひさしぶりー。卒業以来だなー!」
「…ああ」
少し大人びたろうか。相変わらず無口な奴だ。
「今何してるんだ?」
「勉強とか実習とか。割と忙しい」
「獣医学だっけ、大変だな」
「いや、そんなでも」
飲み屋発見。目が輝く。
「じゃあ、とりあえず再開を祝して飲もうぜ」
「うん…」
「今日はとことん飲むぞ。どっちが先に潰れるか、勝負だ!」
「…ん」
一目見た時からこいつはライバルだと思った。体育祭の100メートルで抜かれて確信を持った。二年で同じクラスになってからは、ことあるごとに勝負を持ちかけた。向こうはこちらの思惑なんか気にしないけど勝負には乗ってくれた。やる気のなさそうな顔をしているくせに何でもできて、大抵の場合返り討ちに遭った。
今回もそうだ。気付いたら肩を担がれタクシーの後部座席に転がっていた。
負けない自信はあったのに。
「あれここは?なにどしたの一体」
「…潰れたところを引っ張ってきた。もうすぐうちだ」
「すまない」
車が止まる。やたらと古い広い平屋が見える。
「着いた…」
「すげー!一戸建てだ!」
中に通される。コンビニで買ったお茶をすする。

「静かだな。なんか音楽でもある?」
「レコードならあるけど…」
年代物のプレイヤーからは意外に激しい音が流れてきた。
「これ、誰の曲?」
ビートルズ
半分霞のかかった頭で考える。こんなの聞いたことない。
ホワイトアルバムだ」
「へえ」

「学校は大阪だっけ」
「そう。府立大」
「ここからじゃ一時間半はゆうにかかるだろ。一人暮らしの意味ねえよ。もっと近い所に部屋を見つけたほうが楽だぞ」
「…ここはおばあちゃんの家で、昔住んでた」
そんな話、はじめて聞く。口数が極端に少ない上に自分のことは何も話さない奴だった。嫌な予感がする。
「生まれ、こっちだったんだ」
「うん。でも転勤とかあったし、離婚とかでみんなバラバラになっておばあちゃんももういなくて…ここを守るのはもう自分しかいないから…」
予感的中。

「…そうか、ごめん」
「それに、ここなら猫も飼えるし…」
フォローの声に力がない。猫なんてどこにいるんだ。
音が止んだ。空気がぐっと重くなる。気まずい。
「裏返していいかな、ちょっと触ってみたいんだ」
「…いいよ」
レコードををひっくり返す。
「なんかバウムクーヘンっぽくない?」
「…」
すべったかな。相変わらず無表情。切ない。
「…布団敷くよ」
「お、おう」
電気が消える。暗い部屋でこそこそ話す。修学旅行の夜みたいだ。
鳥のさえずりとシンプルなアコギの音が聞こえる。
「これ、なんて曲?」
「ブラックバード

曲が終わるまでの2分ちょっとで色々なことを思い出した。
子供のときは変身ヒーローに憧れた。再放送のガッチャマンが特に好きだった。空を飛んでみたかった。人間に翼が生えてこないことは分かっていた。
水の中で騒ぐのが楽しくて、幼稚園の夏に水泳を始めた。
新しいことを覚えていくのが楽しくて、力を振り絞って泳いだ後のジュースがおいしくて、水泳にはまった。
バタフライを習った夜、背中から羽根が生えて飛ぶ夢を見た。
勝負ごとは何事も負けたくなくて、毎日誰よりも練習した。
大学で開花して、オリンピックの代表選考会まで勝ち抜くことができた。
でも、そこまでだった。積年の無理が祟って自分の腰は殆ど動かなかった。
もう泳げる状態じゃないことを知っていたけれど、期待をかけてくれる人達には本当のことを言えなかった。
痛み止めを打ってもらって選考会に出て、恥ずかしくないタイムが出た。
競技後にドーピングの疑いが掛けられた。思い当たる節は一つしかない。
こちらの主張は認められず、三ヶ月の出場停止が下された。
部室に行ったらロッカーがなかった。

その足で東京駅に向かった。どこか遠くへ。
で、京都に来た。

「本当に、知らなかったんだ」
「…うん」
「教職切って塩素で肌荒らして、どこにも遊び行かないで必死で泳いできたのに」
「…うん」
「なんかずっと、同じとこばっか回ってる気がする」
「え、あ、あの…」
「ごめん」
「…」
「寝ようか」
「…おやすみ」
鼻声がした。
「おやすみ」
目が冴えている。

翌日。時計は10時を指している。
頭が痛い。昨日のことを思い出せない。
飲んだ翌朝はいつもこうだ。余計なことは言わなかっただろうか。

「うーあたまいたー。おはよー」
部屋の主の姿はなく、代わりに書き置きがあった。

学校があるので先に行きます。
短い間だけど楽しかったです。
何も言ってあげられないでごめんなさい。
鍵は郵便受けに。

思い出さない方がいいようだ。
昨日の残りの茶を飲み干し、自分しかいないのをよいことに部屋を見て回る。
台所には山のようなサプリメント、冷蔵庫には牛乳と野菜ジュース。
浴槽には黴と湯垢がこびりついている。

全てが完璧な人間はいない。安堵した。

郵便受けに鍵を放りこむ。
タクシーで来た道を歩いて戻り、駅前の商店街に出る。
いつかと似た景色にふと、高校のころを思い出す。
あいつはノートも綺麗にとっていたし制服もきちんと着ていたし、学校の掃除さえ真面目にやっていた。誰も見てないからってだらしなくなるタイプじゃないはずだ。だとしたら、あの混乱は。
 
 

今日も一日忙しかった。実習では患畜に手を噛まれ、実験では試験管をうっかり落とした。レポートを書き終えたら教授の用事に巻き込まれ夕食も食べ損ねた。最近は猫を愛でることにしか楽しみを見出せない。温泉にでも行って癒されたい。「忙しい」は心を亡くすと書くんだ。

家の灯りがついている。物音がする。誰かいる。
泥棒か。
意を決してドアを引く。
「おう、おかえり!」
「…なんで?」
「いやー新幹線代使いこんじまったからさ、ははは」
後ろにはスーパーの白い大きな手提げ袋が4つ。不似合いなまでに磨かれた床。入浴剤。
確信犯か。
「次の仕送りまででいいからさ、しばらくここに置いてくんない?風呂炊くしメシ作るし。こう見えても料理うまいんだぜ」
「え、あ…うん」
「いい?いい?やったー!」
ちりん。首輪の鈴を鳴らして猫が帰ってきた。

三題噺:温泉、バウムクーヘン松井山手